どうも。ごんすけです。
part1からの続きです!
自己肯定感が異常に高い友人K
良い意味で”こいつ、俺とは違うなぁ”って感じる人って、生活していたらちょいちょい出てきませんか?俺の場合は、いつも自己肯定感の高い人に自分のとの違いを感じてしまいます。
その代表格は友人K。こいつは俺より、4つも年下のくせに、タメ口で会話する間柄になっている男で、以前勤務していた特別支援学校の同僚として出会ったやつです。
バリバリ体育会系のノリのやつで、学生時代は野球をやっており、甲子園に行くまでの実力者だったK(本人は先輩の代に連れて行ってもらっただけと言うとるけど、一般人からしたらすごいことやんね)。最初は、”そらスポーツできるやつはちゃうわ”と思っていたんです。だって、こっちはサッカー部の万年補欠野郎やったもんねー。”スポーツで成績残せるやつは、それ自己肯定感も強いがな”って思ってた。
でも、”それだけじゃないぞ。もっと根底にあるものが違うような気がする…”という違和感も感じていた。その違和感が確信に変わったのは友人Kの母と接するようになったことがきっかけでした。
10年ぐらい前、特別支援教育の教育免許を取得するために、大学で1週間ぐらい勉強する認定講習というものがあるんです。教員あるあるですね。その大学まで俺の車でKを実家にまで迎えに行くと、Kの母が出てきて「すいません!ありがとうございます。これ朝ごはんです」と言っておにぎりを持たせてくれた。俺は「ありがとうございます!」と受け取り、車を走らせた。
Kに「朝早くから準備してもらって悪いし、おにぎりとか用意せんでええよ」って伝えたところ、Kは「いや、おかんが「誰に送ってもらうの?先輩の人!?じゃあ、朝ごはんよういしなあかんやないの!」って言うからさぁ」と返答。ええお母さんなんです。そして一週間ずっと朝ごはんのおにぎりを持たせてくれたんです。
さらに、このおにぎりがうまいこと!ほんまにおいしかった!おにぎり一つで衝撃を受けたのは、これが人生で初でした!
まず、おにぎりは小ぶりで、具はつくねが入っていた。一口かじると、すぐに具のつくねも一緒にかじることができて、具の味がしっかり感じられるおいしさがあった。しかもご飯は鰹節やらゴマが混ざった混ぜご飯にしてくれていて、風味も抜群。小ぶりやから1人3~4個ぐらい用意してくれていて、満足感もあった。まさに食べる人のことを考えて作ってくれていて、おにぎりというより、もはや料理!
初めて食べたときには、「なにこれぇ!?めっちゃうまいねんけどぉ!?」とテンション爆上がりになるほど笑。そんな俺を見てKは「いや、普通のおにぎりやろ。このつくねも冷食やで」と冷静。いやいや、こいつはわかっていない。俺のおかんが作るおにぎりがどんなに酷いものか…。

俺のおかんのおにぎりは完全に白い白米で、かなりでかい。具は唐揚げなど入れてくれていたが、まず一口では具にたどり着かない。そのため、具までの掘削作業としての一口かじるという業務が必要となる。なにも味のしない白米をもぐもぐとしなければいけない時間が生まれるのだ!
母は、食べる人のことの気持ちや状況など考えない。めんどくさいひと手間なんか、絶対にかけない。大き目のおにぎり2個で、最初の一口は罰ゲームのような感じ。もちろん作ってもらえるだけ、マシやとは思ってる。感謝もしている。しかし、それでも、もう少し工夫してもええやろ?とは思う。
友人Kの両親は、飲食店を経営しており、もちろん料理に精通していることもあり、おにぎり一つとっても、クオリティが高かったのだと思う。その後も、両親の経営する飲食店におじゃますることになり、友人Kの母と話す中でますます良い人であると感じた。
友人Kの父は、おもろいおっちゃんなんやけど、家族に対しては職人気質で気難しいところもあるようで、Kは父親の悪口ばかりを言っていた。ところが母の悪口は全く出てこない。
俺は、「K父は嫌いかもしれんけど、K母のことは好きやろ?」と聞くと、Kは「そうやなぁ。おかんは好きやなぁ」と一言。
俺としては、その一言が衝撃的だった。自分の母親に対して「好き」とあっさりと認めることできる人間がいることに衝撃を受けた。
「いやいや、ああ見えておかんもやばいよ」的な話になるかと思っていた(俺ならそうなる。誰かに父の悪口を言って「母は?」と聞かれれば「母はとびきりやばいやつやねん!」とはっきりと答える笑)。しかし、Kから母の悪口を聞くことは一度もない。
メンタル鋼の妻
二人目は自己肯定感MAXという感じの妻やねんけど、この人にも驚かされるエピソードがあります。
俺が料理中、卵の殻を割って、中身を生ごみ入れに入れ、殻をフライパンの中に入れるという、ありえないミスをし、「うわ!俺アホや!」と自分のミスを嘆いていると、妻が一言。
妻「そんなん主婦あるあるやで。自分のことアホとか言わなくていいやん。」→俺「いやいや。これはやばいミスやん。君はしたことあるの?」→妻「1回だけあるよ」→俺「自分のことアホやぁって思わんかったん?」→妻「うん。”あ、やったな”って思ったけど、”アホや”なんて自分を責めることはないよ」
俺はそのやりとりして、”まじかよこいつ”って思ったよね。明らかな自分のミスに対しても、自分を責めることがないんです。
俺の自己肯定感の低さに対しても、「自己肯定感が低いことは悪いことでもないし、あなたの責任でもないよ」とさらっと言われたこともあり、その時の俺は、”んなアホな”という感じで受け止めることができなかったけど、今なら”確かにそうかも”と感じ取れつつある。
俺は、子どもに怒りすぎたり、自分の意志が弱すぎたりしたときに、自分に対して”何やってねん!”と責め過ぎてしまい、しばらく落ち込むことがよくある。一方、妻が落ち込んでいる姿を見たことがない。
いや、一度だけあった。それは、長男を出産し、妻の実家で一ヵ月過ごすことになったときのことだった。俺が、実家を出て、自分のアパートに帰る際に、俺を見送る玄関先で妻がポロリと泣き出した。「どうしたん!?」と焦って聞くと、「なんかさみしくって」と一言。それを見た妻の妹さんが「お姉ちゃんのそんなところ初めて見た」と驚いていた。

俺も初めてやったし、その後もそんな姿はありません。(まぁ、夫婦喧嘩で何度も泣かせていますが、それは怒りの感情なのでノーカウントで笑)
出産というホルモンバランスが急激な変化を起こすタイミングのみ、浮き沈みが起こるという普段は鋼のメンタルの持ち主なんです。そんな妻の母もこれまた強さをもった人だった。
妻の母は、夫の浮気が発覚するとすぐに離婚という選択をした人だった。子ども(妻、妻妹、妻弟)は小学生~高校生という年代でまだまだ手もかかるし、お金もかかるけれど、女手一つで3人を育てきった人だった。
一方、俺の母親には、いつも「そんなに親父の悪口を言うなら、離婚すればいいやん」と何度言ったことか。そのたび「あんたら子どもがいてできひんやん!」というが、それは言い訳で自分一人で生きて行こうとする勇気や強さが母にはなかった。自分の人生の責任を自分で引き取ることができない弱さがあったのだと思う。
毒親ではなく、弱親
これまで、自己肯定感の強い人の母に焦点を当ててきたが、自分の母親に焦点を戻していく。
自分の母の評価を客観的に書いているつもりだけど、いかんせんすべて俺自身の主観が根幹にあるから、正しく伝えられているか少し怪しい部分はある。
母の評価=悪口ではない。ということは知っておいてもらいたい。
俺は、自分の父と母が基本的に嫌いであるが、両親からの愛は受け取っている。それを実感できるのは、自分の子どもと接しているとき。子どもが風邪を引いて寝込んでいるとき、”変われるものなら変わってやりたい”と思う。子どもが喜んでいるとき、自分のことのように嬉しくなりテンションも上がる。
それは親として、当然かもしれない。しかし、これは自分の両親から確実に愛情を受けついできているから、そう思えるのであると考えている。
親から虐待を受けて、育った人もいるだろう。親から本当に愛を受け取れていない人たち。そういう人たちは愛着障害を抱えた人たち。
こういう人たちの親は、毒親だと思う。親ガチャに外れたと言っていいと思う。
しかし、俺の場合はそうではない。(親の喧嘩を子どもに見せるのも虐待って言う人もいるけどねー。それだったら当てはまるけど笑)
俺はしっかり親から愛情を受け取っている。だから人に対する基本的な愛情をもっていて、人と交わした約束は守りたいし、困っている人を見つけたら助けたくなる。
ただ、自己肯定感は低い。それは自分の親が弱かったからだ。弱親だったからだ。
自分の責任ではない。でもだからといって、自分の人生の責任を放棄することはできない。だから強くありたいよね。
弱いことは悪いことではない。だから親を怨むような気持はもうない。
自己肯定感が低いことも役に立つよ。低いの人の気持ちがわかるもん。妻(高い人)から「自己肯定感が低いことは悪いことでもないし、あなたの責任でもないよ」とさらっと言われた時は、内心”お前に何がわかんねん!俺の気持ちがわかってたまるか!”って思ってたと思う笑。
そんな俺は、自己肯定感低い側の人間として、同じような悩みをもっている人にこうやってブログで伝えようと行動を起こすことができるようになってきた。
それは親のせいだけにしてこなかったからだと思う。親の弱さを受け入れて、自分の弱さも受け入れて、少しづつ成長できているのかな…となんかしみじみしてます。
だからこれを読んでいる人も、自己肯定感が低いことを親のせいにしてしまえばいい。いったん親のせいにしてしまおう。そして親のせいにして思考をストップさせるのではなく、そこから自分に何ができるのか、考えてみてほしい。
最後に。
自己肯定感高い・低いにこだわらずに人生を過ごしたいね。ちなみにイチローが動画で言うてたんやけど、「自己肯定感?そんな言葉あるんですか?自分を肯定するんですか?それってめっちゃ気持ち悪くありません?」「自己有用感ならなんとなくわかりますね。そっちの方がまだしっくりきますね」って感じのことを言ってた(詳しくはこっち見て)。
その動画見て、俺も100%同意やねん。自分のこと、自分で認めるって気持ち悪いもん。てことはイチローも自己肯定感低いねんって笑。
努力と積み重ねで何とかなるってことですね!てか、それしか方法ないのかも笑。今度も、ブログで発信を続けていって、自分自身で確かめるしかない。
てことで俺はまだまだ頑張ります。これを読んでくれた人の心が軽くなり「自分もがんばろ!」って思ってくれてたら幸いです!

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