どうも、ごんすけです。
自己肯定感、低めの人と高めの人っていますよね。わたくしごんすけはとっても低いところから、ある程度高いところまで到達していると自負しております。
自己肯定感って育ててくれた両親の人間としての強さ・弱さから影響を受けるものだと感じております。そう。自己肯定感が低いのは、親のせいにしちゃえばOKなんよ笑。でも、親を憎んではいけないぜ。
今、自己肯定感が低くても、気にしない!
自己肯定感低い=悪いではない!
自己肯定感の低さを認めつつ、自分で原因を分析していくことが大事です。読み終わる頃には、自分の責任にせず、気持ちが楽になるはず!(多分!笑)
ということで今回は、自分なりの自己肯定感についての考えを共有していきたいと思います!
自己肯定感が低めな人に届けー!
喧嘩ばかりの両親
まずは、ごんすけ自身の両親について、書いていくぜ。
父、母、姉、兄、ごんすけという5人家族で暮らしておりました。父は、月~土曜まで働き、休みの日曜は、自分の趣味のサッカーや飲み会に出かけていく人でした。そんな父を見て、「いつも私ばっかり損をしている」が口癖の母がいました。母は父の家庭を顧みない姿勢に疲労やストレスをため込んでいたんだと思う。
そんな母は酒癖が悪かった…。酒を飲んでは昔に義母から受けたひどい仕打ち(と母は思っている)を受けたことや、父の職場の社長の悪口を言ったりしては父と口論になり、大声で怒鳴り合うのは日常茶飯事。
まだ小さかったときは、父の耳元によって小さな声で「おこらんといてあげて…」と何度もお願いしていた…。しかし、毎回毎回、大喧嘩に発展。
父が母の顔を壁に押し付け、「まだ言うかぁ!!」と怒鳴り、母は壁に顔を押し付けられ、鼻血を出しながら「お前が悪いんやぁ!!」と言い返している場面は、今でも鮮明に思い出せます笑
小さいうちは、兄弟たちと固まって、怖くて泣いていましたが、中学生のころには、「あ~あ、またやってるよ…」という反応に変わっていきました。
その当時は、兄弟で全員が「おかんが悪い。昔のことをいつまでもぐちぐち言うて、うっとうしい」という共通認識が出来上がっているほどでした。今思うと、全然、親父も悪いんやけどね。おかんにだけ、家事育児を丸投げにしてるわけやからさ。
喧嘩ばかりの俺と母
そんな母は、親父が不在(一人で飲み会に行っている)のときにも、家でビールを5~6缶飲み干し、悪酔い。子どもたちは関わりたくないので自室のドアのカギを閉めて閉じこもり。そしたらおかんが扉ノックしてきて…。
「ごんすけ~、何してんの~?」→「あのさ~、○○が○○でさぁ~」→「…って聞いてんの?」→ごんすけ完全無視。
ガチャガチャッ(ドアノブを回す音)→ガンガン!(ドアを叩く音)→ごんすけ絶対に開けない。
「あけぇよ!出てこい!」→ドン!(ドアを蹴る音)→「デブ!ブタ!」→母立ち去る→ごんすけムカつく。

という一連の流れはよくありました。思春期で自分の体型に悩んでるのに、ストレートに「デブ!ブタ!」と悪口を言う母親…。(あ、笑うところですよー笑。大丈夫?引いてない?)
とまぁ、そんなおかんは、俺のことも全然信用していないって感じで、なんでも口出ししてくる人でした。「おかんの意見はもとめてないって!」「もうほっといてくれ!」と何度も強めに、ムカつかせるような口調で言っても、とことん口出しを続ける。
「勉強しろ!ゲームするな!部屋を片付けろ!」と中学生のときは毎日言い続けられ、本当にうっとうしかった…。俺は「お前に言われてもするかぁ!自分で判断しとんねん!」と生意気に言い返していました。俺が親なら”責任取るのはこいつやし、なんも言うてやらん!”ってなるけどね。
おかんが言い続けるのは、俺への愛ではなく、自分自身の不安をコントロールできず、その不安を俺に押し付けているように感じでした。実際、同じ親となり子育てをする立場となった今、それは当たっているだろうと思います。(おかんは絶対に認めないけどね笑)
とにかく俺は「信じているよ」とおかんから一言でも言ってもらえてたら、自分の課題にスムーズに向き合えていたと思う。
俺は信じてもらえていない…という感覚がいつもまとわりついていて、当然、自分の判断や決定にも自信なんかもてずにいた。さらに自分のコンプレックス(天然パーマ、デブ、サッカー部の万年補欠)も相まって、ダサくて情けない自分を認識しつづける毎日を送っていた。
「こんな母親じゃなければ俺の人生はもっと明るくなっていたはず」と毎日考えていたよね…。
社会的人になってから親に手を出す俺
その後の高校と大学もずーっと、うっとうしい母親でした。「精神科いった方がいいで」と家族全員、母に伝えていました笑。
そして社会人1、2年目は実家を出て、初めての1人暮らしを経験し、おかんが居ない快適さを感じつつも、おかんが作ってくれていたご飯のありがたさを身に染みて感じることができたんです。そうです。母に感謝する気持ちをはっきりともつことができたんです!そんなこと一回も無かったのに!笑
3年目になると仕事の都合で実家に戻り、また両親と一緒に暮らし始めました。母の手料理を食べ、”自分以外の人がご飯を作ってくれるなんて、なんて贅沢なんだ!”とニコニコでした。母にも感謝を伝えていました。あんなことがあるまでは…。
社会人3年目の12月ごろ、当時の彼女(今の妻)と同棲することになり、アパートの一室を契約し、彼女が引っ越してくるまでは、少しずつ家電製品などを運び入れていました。3週間後の年末に実家を出ていくという状況で、ごんすけと母の大喧嘩が勃発。母との喧嘩なんて親父、兄貴、俺が日替わりでしているようなもので、当たり前に毎日おかんと誰かが言い争いをしていましたが、その日だけはとんでもなくエスカレートしていってしまいました。
なぜ喧嘩になったのかは全く覚えていませんが、おかんの不必要な口出しに、「うるさい!ほっといて」と反発していたのだと思います。「もういいって!やめろ!」と強く反発すればするほど、強気なおかんはさらに口出しを続け、”自分から黙る=負け”という幼い価値観も持ち合わせているおかんなので、「黙れ!」と言えば言うほど、どんどん口やかましくなるおかん。(あ、母親に普通に「黙れ」という家庭です。父親が率先して言っていました。なので俺は悪くありません笑)
俺は、身体を小刻みに震わせながら「ええかげんにせぇよぉ!」と大声で怒鳴っていました。しかし、おかんはやかましく言い続ける…。本当に”殺したろかこいつ”と思い、座っていたおかんの肩をキック!→起き上がっておかんがまだまだ、罵詈雑言を喚き散らす→キャスターのついている重めの椅子をおかんに向かってぶん投げる→親父と兄貴に制止され、引き離される。
という大喧嘩に発展しました。“俺は自分の母親に暴力を振るった…”という自責の念に駆られていました。後日、そのことを親父に話すと明るく「みんな手出してるで。あとは○○(兄貴の名)が出してないだけやん」と笑って話していました。この家族、終わってるよね~笑。
とにかくそんな大喧嘩後、実家を飛び出し、カーテンもベッドも無いアパートの一室で彼女と彼女の家具たちが引っ越してくるまでの3週間を、年末の寒さに凍えながら一人で過ごしておりました。

まさか社会人になってからおかんに手が出るとは思わないよね~。それ以降は一緒に暮らしていないので、手がでることはないんやけどさ…。
「昔やんちゃしてて親にも迷惑かけてごめん」っていうパターンあるけど、俺はバリバリの社会人でそれやってるからね笑。自分を生んだこの世にただ一人の人を足蹴にしたんだぜ。結構落ち込んだよ…。
その後、なんやかんや口喧嘩はありながらも絶縁状態というわけではないです。自分の子どもの存在が大きいよね。子ども(両親にとっては孫)がおらんかったら絶対に実家に寄り付かんし。
あと、俺の妻に対しても優しくしてくれているので、嫁姑トラブルみたいなものとは無縁です。そとづらだけはええのよねぇ。まぁ、それは俺もなんですが…。自分の家族に対しては俺もやばいことしてるしね~。よかったら、これ(家族と楽しく過ごせない男の沖縄2泊3日の旅)も読んでみて♡
その後、”うちの親はやばい。親ってやばいもんなんや”って漠然とした考えがあったんやけど、”いや、どうやら他の家はそんなことないぞ”っていう違いを明確に感じる人たちと出会ってしまったのです。
その人たちとの出会いにより、うちの親のやばさ=弱さなんだと気づいたんです。
って、ここまで書いて、文字数が3500文字を超えようとしているっ!長すぎでまとめられないので、part2で書いていきます。ごめんなさい。part2も読んでやってください…(´;ω;`)


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