才能爆発して、教員として完成してしまった話(7年目)

仕事(組織)の話

どうも、ごんすけです。

前回まで、教員採用1年目から6年前までの出来事を書いてました。せっかくだから7年目から9年目までのことも書いちゃえってことで、ふざけたタイトルしてますが、けっこう本気で、教員として完成したと思っています!

地獄の初任研指導のトラウマ&遠すぎる通勤距離によって、いかに手を抜いて仕事を早く終わらせるかだけを考えていた俺が、気づけば周囲から頼られ、重要な全校業務をバリバリこなすように。

あれ?俺シゴデキじゃん…?って自分でも思ったよ。NHKのプロフェッショナルか、TBSの情熱大陸の取材を受けるイメトレするほどやったもんね。

あのまま教員として働き続けてたら、全国デビューしちゃうところだったから、危なかったよね。

ということで、ポンコツ教員をになれば仕事を任されなくて済むと思っていた底辺教員が、どのようにして責任感に溢れ、おまけにイケメン&ユーモアのセンス抜群の教員になれたのか、その秘密をついに公開します!

NHKのプロフェッショナルか、TBSの情熱大陸の取材を受けてみたいっていう人にも、刺さる内容になっているので、最後まで読んで損はないと思うよ!

しらんけど。

念願の異動内示

教員採用1年目から6年目までを過ごした学校から、ようやく異動となり、7年目して2校目の学校に勤務することになりました。

1校目の学校には、怨みつらみしかなかったよね笑。最悪の初任研という地獄を見せられ、片道90分という罰ゲーム付き。俺が一体に何をしたっていうんだっ!

しかも、大規模校でやたらと業務が多かった…。これやる必要ある!?って仕事も多かったしね~。

だから、異動が決まって俺はルンルンしてた。すると、6年目に一緒のクラスの相担(あいたんと読む。相方担任の略)になった、初任のA先生は寂しそうにしてたわ…。

A先生から「本当にお世話になりました!大好きな先生です!」という熱いお手紙をもらいましたよ。そんな初任者のA先生を放り出して、違う学校に異動になることには罪悪感があったし、唯一の心残りでした…。

でも、嬉しいものは嬉しいんだいっ!😆

ということで、ウキウキで羽ばたいていくごんすけでした笑。

2校目の学校は片道50~60分ほどで、1校目と比べると遥かに楽だった。だって往復で1時間も違うってことは、年間220日ぐらい出勤するとして、220時間も変わるんやで!通勤時間ってほんとに重要…。

そして新しく担任したのは小学高学年のクラスで認知的に高め(言葉でやりとができる)の児童たち。さらに俺の相担がめっちゃしっかりしているベテラン教員(女性。以下B先生。)で、クラス運営を引っ張ってくれた。

そして小規模校ということもあり、小さい学校がゆえに、変な教員はあまり紛れていない印象だった。

過去のブログ(教員を辞めた理由 前編 後編)でも書いてるんやけど、校長、教頭の管理職がどちらも講師時代にお世話になった先生で、とんでもなく仕事がやりやすい環境でほんまに文句なしでした。

唯一大変だったのは、児童への指導。

児童生徒への指導だけは、講師時代から絶対に手を抜いたことはなかったし、全力でぶつかってきたという自負がある。それなりに自分中でも自信のある分野だったけど、小規模校がゆえの難しさに直面することになった。

それぞれの児童の認知的な力や生活面(トイレに行ったり、給食を食べたり)での時間のかかり方に大きな幅があるのに、小規模校ゆえに、クラスを分けることができない。

児童の実態に大きな幅があっても、一つの集団としてクラス運営をしていかなければならない状況は、俺にとっては初めてのことで1学期は面食らうことに。

とくにややこしい児童がクラスに2人いて、きゃつらのおかげで教師として成長させていただくことになりました笑。

教師としての勝負所

愛しのややこしい児童一人目(以下、Aさん)。

Aさん、6年生。こだわりが強く、トイレ(小)に15分以上かかる児童で、先に授業を始めようものなら「なんで待ってくれなかったの!?」と興奮して、怒り泣き出し、授業にならないという、一見すると単なるわがままとして受けとられてしまう人。

社会のルールを教えるために学校で勉強しているので、”社会は待ってくれへんで!”っていう経験もしないといけない。だから、よく怒らせたし、泣かしたわ。でもそれは、Aさんの将来を思ってのこと。

怒ったり、泣いたりした日は、「こうこう、こういう理由て指導しました。本人が気にしているかもしれないので、頑張ったねとお家でもフォローしてあげてください」と、連絡帳を通じて保護者に長文で説明するようにしていた。

そうすることで保護者からも理解をいただき、保護者面談では、「思いっきりやったってください笑」という言葉までいただいた。だから、思いっきりやってやりましたよ笑。

教師として大事だったのは、勝負勘。“怒らせることになる。ややこしいことになる”って思っても、Aさんの将来を思って、あかんことはあかんと言う!

信頼関係が出来上がってくると、Aさんも俺の言葉を受け止めることができるようになっていった。

印象的なのは、書初めの授業をしていたとき。筆で書いた文字のかすれが気になり、かすれた部分を二度書きして塗りつぶすAさん。

俺「2度書きしたらあかんねん。かすれているのがええねん」
A「なんで!?だって気になるもん!!」
俺「いや、書道やってねんから我慢して!」と俺は引かない。
A「いやだ!気になるもん!」とAさんも引かない笑。

俺「ほなもうええわ!先生は本物の書道を教えたかったけど、Aさんはお絵描きがしたいんやな?好きにして!でも、授業なんやから他のみんなには、本物の書道を教えるしな!Aさんだけ、どうぞお絵描きしといてください!」と突っぱね、勝負に出た

その勢いに押されてAさんは、「え?みんなが本物の書道するならするよ…」と少し冷静になった。俺は心の中でニヤリとしたよね

でも、まだ弱い。だから「いやいや。もういいよ。お絵描きしといて。そっちの方がしたいんやろ?」と冷たく返事。

A「いや、本物の書道やるよ!本物の書道教えてよ!」→俺「言ったね?自分でするって決めたね?じゃあAさんにも本物の書道を教えるよ」と、俺に言われたからではなく、自分から取り組みたいという動機付けをするように、もっていくことができた。

もちろん授業の最後には「Aさん、よく我慢して本物の書道をすることができたね。先生の気持ちをわかってくれてうれしかったよ。ありがとうね」というフォローも絶対忘れちゃダメでっせ。

冷静な押し引きの判断

愛しのややこしい児童二人目(以下、Bさん)。

Bさん、6年生。全ての活動において、自信が無く、「次、Bさんの番やで」と促しても、取り組むことができない。「できないんだよーー!」と言って、教室を飛び出す日々。

Bさんにとって全然難しくないことでも、能力的には全く問題ないが、心理的に”失敗したらどうしよう。不安だ”となり、「やりたくない!」と飛び出していってしまう。

深く関わっていく中で、これはどうやら注目行動だと分析するようになった。そしてBさんの根底に愛着障害があるとB先生と話し合った。

そして俺とB先生とで協力して、活動に働きかける役目や寄り添ってフォローする役目などと入れ替わり立ち代わりで、Bさんに働きかけていった。

「いやだー!できないー!」と言って飛び出すBさんを追いかけ、何とか教室に戻し、担任二人でアイコンタクトをし合って、”今ならいける!”というタイミングで、活動に取り組む。

この阿吽の呼吸や、”いける!or今は無理そう…”というBさんのタイミングを冷静に判断して、押し引きをする。そして最後には、”できた”という経験で終わらせるようにしていた。

タイミングを外すこともあり、授業が終わった休み時間に取り組むこともあったけど、それでも「最後までよく取り組めたやん!すごいやん!」と言って、Bさんに自信をつけさせようと粘り強く関わった

でもね。愛着障害というのは本当に厄介で、その一年では劇的な変化はなかった。でも、Bさんが中学部に上がり、1年2年と経つにつれて、教室にいる時間は長くなっていった。

愛着障害の子どもへの指導は本当に難しいけど、成長をしないわけじゃない根気強く関わっていくことが本当に大切だと教えてくれた児童でした。

という感じで、異動1年目/採用7年目が過ぎ、児童への指導や関わりについては、かなりレベルアップさせることができました。

ただ、教員の仕事は、児童生徒への指導などの学級経営だけじゃないんだよね~。分掌業務という係の仕事?みたいなデスクワークもあるんです。

一般企業で言うと『社内インフラ管理』や『総務・IT推進部』のような役割らしいです(うちのジェミニが言うとりました。俺、一般企業で務めたことないから合ってるかどうかは分かんない…😑ごめんなさいね🙇)

8年目はそんな分掌業務の仕事で存在感を放つようになっていったし、9年目には、また若手の先生と一緒のクラスになり、6年目のときのように教える楽しさを実感することができた。

そんなことを書いていきたいんですが、文字数が…。

ということで、また次回書いていきます!

イケメン&ユーモアのセンス抜群の教員になれる秘訣はまだ伝えてないから、次回もかならず読んでね!!

次回のブログを読めば、あなたもイケメン&ユーモア抜群の存在になること間違いなし!

コメント

タイトルとURLをコピーしました